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連載エッセイ “We shall overcome” (33)

被写体に見たい願いを託す    中島久代

 辛子の紅色も鮮やかに、ふっくりとした大ぶりの明太子が、二段重ねで丸い桶いっぱいに詰っている。明太子の薄皮を透かして見える鱈子の一粒一粒は漬け汁も滴るほどの新鮮さ。博多の人たちがこんな明太子屋の看板を見たら、「白いご飯にこれさえあれば最高のおご馳走」と、買い求めたくなるはずだ。熱々の汁がたっぷりとはられた黒い土鍋の中から、厚切りの真っ白な大根が玉杓子で今まさに掬い上げられようとしている。大根からはフカフカと上品な湯気も上がっている。冬にこんな写真を見たら、焼酎のお湯割りか温燗をお伴に、フーフー言いながら冬の味覚を堪能したくなるはずだ。佐賀県唐津の松露饅頭は、一口で頬張るのにちょうどよいまん丸なお饅頭。皮はごく薄いカステラ生地、なかの小豆餡はシナモンの味付けで、シュガーロードこと長崎街道から外れてはいるものの、オランダからの砂糖が作り上げた菓子文化の影響が感じられる銘菓だ。店頭のポスターは、カステラ生地の細かい空気穴までも見える接写、球形の下辺あたりの影はお饅頭を一層立体的に見せ、コロコロと転がり出す前に口に入れたい衝動に駆られる。高く抜けた空一面に、真綿をぐんぐんと引き伸ばしたようなすじ雲が隙間なく広がっている。糸島富士の山の端に沈む夕日が、最後の力をふりしぼるかのように、荘厳な朱の色を画面いっぱいに放つ福岡の西の日没。こんな画像を背景に置いたら、厳しい夏も終わり秋へと移りゆく自然と味覚を求めて旅に出たい人の心をくすぐるのでは、と貼り付けを考えたHP製作者やブロガーは多かったに違いない。岩本光弘さんは食材と料理、菓子、花や雲や空や生き物といった自然、陶芸品、そして街中の風景を題材として、デジタル加工した画像製作を専門とする商業カメラマンだった。岩本さんの本業とそのようなジャンルの存在を知ったのは、協会のHP製作を依頼して知り合ってから4年も経ってからだった。

   佐賀牛

 日本バラッド協会はHPを活動の拠点として2007年に発足した。発足当時のHPをご記憶の方もいらっしゃるだろう。最初のHPと、今も継承している協会ロゴはグラフィックデザイナーの大宝拓雄さんの作品だ。その大宝さんが、矢継ぎ早に更新され増加の一途をたどる活動内容を存分に盛り込める新しいHPの製作と維持管理サポートができる方として紹介されたのが、商業カメラマンという本業の傍、HPの作成・管理やアドヴァイザービジネスも手がけていた岩本さんだった。岩本さんのスタジオは天神の大丸から国体道路を挟んだ向かい側、再開発に取り残されたような建物がいくつか残る区画のビルの1階にあった。スタジオ・ナッツと小さな表札のかかったドアを初めてノックした時は緊張でドキドキした。2008年に協会HPを岩本さんにリニューアルしてもらって現在まで14年間、HP管理部門委員にもなってもらい、もう一人の委員山中さんと二人三脚で、協会HPの管理、コンテンツの拡充と新しいページの導入、不具合の修復など、多岐にわたるHP管理業務を担ってくださった。岩本さんの作業は、痒いところに手が届く以上のきめ細かいものだった。更新がうまく行かない時にCMSの不具合の原因を突き止め対策を探し出す、時々HPの全層を覗いてちょっとしたバナーの変更や見やすい工夫を施す、サイトマップを改善するなど、愛しいものを絶えず気にかけ見守るような、HPヘの愛情あふれるメンテナンスだった。岩本さんとのやりとりはずっとSkypeだった。急に困ったこと、聞き齧った情報、協会HPと関係ないネットのことマシンのこと、あらゆる相談にSkypeの通話をクリックするかチャットに入れると、たちどころにレスポンスが返ってきた。画面共有し、多くの場合一緒にネット上の解決策を探して、とことん付き合ってくださった。本協会のHPの類をハッキングしても何の利益もないと思うが、HPはこれまでに2回ハッキング被害にあった。全内容が化け字になったり、内容が消去されたりした。HPが命の協会活動なので、できる限り早急に復旧しなければ協会自体も存在しないに等しい。岩本さんと山中さんは復旧を2回とも3日ほどでやり終えてくれたが、その間最低限の睡眠と食事以外はずっとSkypeを繋いで作業されていたことは知っていた。復旧後の慰労会や忘年会の席で、献身的を超えた鬼気迫る作業ぶりに心からの感謝をおずおず告げると、「いやぁ、まあ、復旧はねぇ、できるもんなんですよぉ」と、いつもの照れたような笑いを岩本さんは浮かべた。

 天神にある銀行の個展スペースで開かれた岩本さんの作品展に初めて足を運んだのは2012年だった。風呂吹き大根の写真はその時に見た。他には、トロトロの質感を写した菊池温泉化粧の湯。世界遺産登録前から著名だった宗像大社の神奈備祭(かんなびさい)、踊る巫女たちの袖は陽炎のように透けている。呼子名物生き造りの烏賊の目は黒真珠の輝き。鉄板の上で霜降りの脂がとろけ出た「艶さし、プレミアム佐賀牛」。そこに写された食材と料理と風景の本質は圧巻だった。これらの写真は『 九州 — 九州をたべてたびして恋をする —』という雑誌の2011年創刊号と2012年第2号に掲載されたものだった。Skypeの向こうから、協会やその他運用しているHPの相談に乗ってもらう時の、ああでもないこうでもないという独り言を交えて、ちょっと舌足らずで少しトーンの高い、穏やかな話し方しかされない岩本さんから予想しなかった、熱に溢れていた。照れたようなニコニコ顔で岩本さんはこんな話をされた。「どう言うかぁ、食べ物を美味しく撮るのはいろいろ要るんですよ。機材とか照明とか撮影技術とか、だけじゃなくて。とても美味しい食べ物だから写すと必ず美味しそうに見えるかというと、そうでもないんですよねぇ。正面から写したら全然違うものに見えたり、暗いと不味そうに見えたり、かといって、光を当てすぎても不味そうになることもあるし。器の色、光、影、見せる角度、いろんな仕掛けにデジタル加工もして、美味しくなるんですかねぇ。」

  たべたび九州

 岩本さんの車に乗せてもらってどこかを走っている時だったと思う。「あれぇ、あの明太子の看板、僕の写真だぁ」と言われた。「勝手に写真使うなんて、コピーライト侵害で訴えた方がいいですよ」と私たちは憤った。「商業写真は買い取りの商品なので、版権とかないんですよぉ」と静かに言われた。職場の先輩の退職お祝いに、先輩ご夫婦と私たち夫婦で、唐津の割烹旅館へ食事に行った。街中の松露饅頭の店頭に岩本さんの写真のポスターが貼ってあった。私は先輩ご夫婦に岩本さんがどんなカメラマンか、素人のくせに得々と喋っていた。「被写体に見たい願いを託す、岩本さんはそういうカメラマンなんですよぉ。」
 大濠公園にある福岡市美術館で、見慣れた福岡の街や自然の写真をデジタル加工した岩本さんの作品展が開かれた。福岡城址のお堀にかかる橋から北へ、現在のペイペイドームと新福岡タワーを臨んで、その先に博多湾が広がっている作品は、ほのぼのと心和むものだった。春霞に包まれ、お堀の岸辺の桜は花吹雪を散らし、ドームやタワーや立ち並ぶ高層建築の輪郭は、後ろの春の海の色、その上方の春の空の色の中に溶けていた。都会なのに海と山が近くて住みやすいと言われる街、けれど、いつも通っていた場所、よく見ていたはずの街はこんなに優しかったと、ようやく気が付いた。
 新天町に近い地下街の喫茶店「おがた珈琲処」でも度々岩本さんの作品が展示されていた。菜の花の頭頂部、開いた小さな黄色の花の花びらはどれも4枚、花びらと花びらの間におしべらしきものが挟まれ、ひとつひとつの花の真ん中にはめしべがしっかりと座っている。どくだみの真っ白な総苞4枚が開いて、おしべとめしべが集まった花穂は力強く屹立している。ふっくらと水を含んだ杉苔の上に落ちた黄金色の銀杏の葉。落ち葉は水滴をもらい、そこには苔の緑が宿っている。普段は見落としてしまう小さな命のミクロの世界の美が丁寧に写されていた。これらの写真に詩をつける方が現れた、と岩本さんがコーヒーを飲みながら照れたような笑顔で、目をキラキラ輝かせて言われた。「Facebookを通して知り合ったんですけどねぇ、すごいんですよ、さわださん。僕の写真を見るでしょ、そしたら、さらさらさらっと言葉を紡がれるんです、あっという間に、ですよぉ。」杉苔と銀杏の写真に寄せられた詩は

   sugikoke ichou

哀しいことが
あったなら

それは
喜びの前触れと
なんども
なんども
繰り返す

舞う葉に
ひとつ
教えられ

2015年発行の『季節の花と言葉あそび Song for you』は岩本さんの写真とさわだゆみこさんの詩のコラボである。
 昨年10月に入って愛宕山からの秋空がFacebookに、栗の渋皮煮がInstagramに掲載されたきりしばらく更新がないな、とふと気付いた11月中旬、岩本さんから入院したというチャットが入った。病院は大嫌いで、自然治癒と体の順応力を信奉されていた岩本さんだった。相談も溜まっており、コロナ禍でも病院へうかがえるかチャットすると、新館と旧館を結ぶ中空渡り廊下の一角にWiFiコーナーがあるからそこで、といつもののんびりした声で奇策を授けてくださった。12月5日の日曜日、誰も通らず、冬の穏やかな日差しのみが燦々と降り注ぐ渡り廊下の一角で小一時間、HP更新の疑問点をあれこれ話した。その後もSkypeに「ワイヤレスマイクを購入するんですが、お勧めどれでしょう」と入れると、たくさんのURLと一緒に懇切丁寧な説明をすぐにもらった。世間話のつもりで「いつもの散歩の公園で、前に大喧嘩した嫌なヤツに会ってしまったんです」と入れると、私が喧嘩するところが「想像もできませんねぇ(≧∀≦)  現場で立ち会ってみたいですう(汗)」とからかわれた。「今YouTubeで音だけ聞くのにハマってます。」とか「いや〜タメになる。学校じゃこんなこと教えてもらえなかったしなぁ (URL)」とか、レスポンスは岩本さんが病気に勝っている証拠だと思った。Zoomでのバラッドの研究会を終えた12月28日午後、岩本さんからの留守電に気付いてすぐに電話した。「年末退院らしいので、落ち着いたら、愛宕のあの喫茶店なら広いし感染リスクも大丈夫でしょうから、この前の質問の話をしましょう」と、最後の声が聞けた。
 Skypeアプリを開くと向こうに岩本さんが待機してくださっている気がする。相談を入れたら、岩本さんから直ちにチャットが返ってきそうな気がする。