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初めてのballad liveを終えて 石嶺麻紀_(2015/12)
初めてのballadのソロライブが終わりました。丁度今日で二週間が経ちます。様々な評価や感想をいただきながら、様々な反省をし、それゆえに実に様々な思考や感情を巡らせた二週間でした。その思考や感情を、今後のために少し言葉に残そうと思います。
balladを歌い続けよう。
ライブを終えて、私が第一に思ったことです。ここに宣言しておきます。
歌、演奏について、ああできなかった、こうできなかった、そういったことは多々あります。それはきっとこれから永遠にあるのだと思うし、そうでなければならないことだと思います。
「俺なんか何十年やってるけど、満足したことなんて一度もないからね。」
と、あるギタリストが言ってくれましたが、それがプロの姿勢なんだということを、その言葉は私に教えてくれました。
私にとって「初めて」の感触とはなんだったのだろう。
それは、「伝わっていない」や、「伝わっているかもしれない」を、感じた、ということかもしれません。お金を払って来てくださった、本当のお客さんを前にしてパフォーマンスしてみなければ、決して知ることのない感触だったと思います。緊張の中、無我夢中で歌った最初の二曲。自分の調子の出なさに心が折れそうになりました。誰にも「伝わっていない」のではないかという不安、いいえ、ほとんど恐怖と言っていい。次の曲との間のほんの刹那に思い出したのは、練習で上手くいった時の感触でした。そこにすがるようでした。私は、ハルモニウムを前に、ゆっくり深く呼吸を整え、お尻の穴を閉めて、自分に言い聞かせました。私はできる、と。すると、三曲目の出だし、不思議と声の調子の悪さにあまり気を取られない自分がいました。更に、やっとお客さんの顔を見ることができたのです。ある方の真剣に聴いてくださっている表情が目に飛び込んできました。おかしな言い方ですが、それはある種、衝撃でした。
今、「伝わっているかもしれない」。
私はそう思うことができたのです。それでも、「かもしれない」、止まりです。正直なところ、私は最後の最後まで、自分の歌が「伝わっている」のかどうかわかりませんでした。それを解る技量が自分になかったのです。初めてなんだから当たり前だよと言われるかもしれませんが、そうだとしても、「初めて」は一度しかないのですから、もう次からはそうであってはいけないと思うのです。どなたかありがたいお客さんのありがたい反応をただ当てにするのではなく、その時の自分の生きた感覚で、お客さんに伝わっているかいないかを感じられるようになりたい、と強く思いました。そして、もし伝わっていなければ、伝わるように修正できる技量を身に付けたいと思いました。
「ねぇ、どうしてこんな音楽やってるの?」
あるお客さんにライブの最後に問われました。私はその問いに、振る舞いも含めいろいろな意味でうまい具合に答えられませんでした。尾をひくようにライブ後、かなり悶々としました。湯船の中で自分とballadとの出会いから今までを振り返ってみたり、balladと意識する以前からの音楽的趣向を思ってみたり。ですが、わかりませんでした。この異国の、民衆の、古くから歌い継がれてきた素朴な歌が、ただただ私の心に沁みてしまったのです。考えれば考えるほど、辿れば辿るほど、なぜかなんてどうでもいいように思われてきました。私は勇気を持ってこう答えることに決めました。
「私は、balladに導かれたんです。」
ですから、これからもballadと一緒に生きていくだけです。
演出をしてくださった皆様、会場を切り盛りしてくださった皆様、そして足を運んでくださったお客様、皆様は私の支えであり宝物であり、深く深く感謝しております。本当に有難うございました。
私は、balladを歌い続けます。