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19世紀のパロディ・バラッド詩 (1)

“The Rime of the Auncient Waggonere”  宮原牧子_(2009/2)

 1819年にBlackwood’s Magazineに掲載された“The Rime of the Auncient Waggonere”は、タイトルからも分かるようにS. T. Coleridgeの“The Rime of the Ancient Mariner”(1798)とWilliam Wordsworthの“The Waggoner”(1819)を土台にしたパロディ・バラッド詩である。形式とストーリーは、ひと目で“Ancient Mariner”のパロディであることが分かる。
It is an auncient Waggonere,
And hee stoppeth one of nine: —
“Now wherefore dost thou grip me soe
With that horny fist of thine?” (“Auncient Waggonere”, 1-4)1

It is an ancient Mariner,
And he stoppeth one of three.
‘By thy long grey beard and glittering eye,
Now wherefore stopp’st thou me? (“Ancient Mariner”, 1-4)2

物語の中心人物である荷馬車の御者は、酔っ払って足もともおぼつかない(st. 4)。この人物設定には、ワーズワースが描いた、腕はたつのに無類の酒好きのために身を持ち崩す御者、Benjaminが意識されていると考えられる。“Auncient Waggonere”の語りには“Ancient Mariner”の重厚さは微塵もない。御者は「長き白髯、きらめく目」(斎藤勇訳)ではなく、「角ばった拳」で一人の仕立て屋を引き止める。(Steven E. Jonesは「仕立て屋(‘tailore’)」はサミュエル・テイラー(‘Taylor’)・コールリッジのもじりであろうと指摘している。)3 なぜ「拳」なのかということについては、物語中盤から後半にかけて語り手である御者がガチョウを殺し(ローストしたのは別人)、追ってきた執達吏を殴って捕まる際に、1ラウンドももたないボクシングのような立回りを見せる場面でやっと理解される。
 さらに“Auncient Waggonere”には、“Ancient Mariner”と同様、注解(‘gloss’)が随所に付されている。批評家Jonesは、詩人の意図がどうであったかは不明であると断りながらも、そもそもコールリッジの“Ancient Mariner”自体がセルフ・パロディなのだと指摘する。つまり、センチメンタルで大げさなバラッド本編と簡潔で学者めいて時に皮肉な注解との間には、パロディが成立しているというのである。4 この点については、“Auncient Waggonere”にも同様の指摘ができる。立回りの最中に後ろから殴られ、気絶している間に牢屋に入れられた御者が脱獄を図る場面は次のようにうたわれる。

“The jailore came to bring me foode,
Forget it will I never,
How he turned uppe the white o’ his eye,
When I stuck him in the liver.(“Auncient Waggonere”, 133-36)

この部分に付された注解は以下の通りである。
 The waggonere tickleth the spleen of the jailor, who daunces ane Fandango.
‘Fandango’とは、19世紀に流行ったスペインの陽気なダンスのことである。“Auncient Waggonere”の注解は、全編にわたって“Ancient Mariner”のそれを巧みにもじって書かれているが、上に挙げた例のように、随所で本編とは全く異なるコメントをして読者をにやりと笑わせる。
 牢屋から見事脱出した御者は逃げ失せ、話を聞かされた仕立て屋は慌てて部屋に駆け込んだために頭を打って死んでしまう。始めから終わりまで全く隙のない見事なパロディであるが、この作品が抱える最も厄介な問題は、いったい誰がこの詩を書いたのかということである。作者と推測されているのは、当時Blackwood’sに寄稿していた二人の著述家、アイルランド人のWilliam Maginn(1793-1842)とスコットランド人のDavid Macbeth Moir (1798-1851)である。1819年2月29日、Blackwood’s Magazineの編集者宛に‘Morgan Odoherty’なる人物から手紙が寄せられる。
 The other two poems, the Eve of St Jerry, and the Rime of the Auncient Waggonere, were composed by me many years ago. The reader will at once detect the resemblance which they bear to two well-known and justly celebrated pieces of Scott and Coleridge. This resemblance, in justice to myself, is the fruit of their imitation — not of mine. I remember reciting the Eve of St Jerry about the year 1795 to Mr Scott, then a very young man; but as I have not had the pleasure of seeing Mr Coleridge . . . .5
 しかし、この手紙の主がスコットに会ったという1795年、モイアは僅か3歳、 マギンにいたってはこの世に誕生さえしていない。もしこの二人のどちらかがこの手紙を書いたのだとすれば、これは明らかなジョークである。「モーガン・オドハティ」がどちらのペンネームであるのか議論は尽きないが、近年の研究ではモイアであるとする傾向が強いようである。しかし、マギン作品説をそう簡単に切り捨ててしまうには、作品中に見られるアイルランド的要素が気にかかる。例えば、御者が牢屋に入るというエピソードは、かつてアイルランドにおいて数多くのバラッドが獄中の人間によって書かれ、外に投げ出されたものが巷の人気を博したという事情を思い起こさせる。また、韻についてもアイルランド詩に特徴的な中間韻(行の中間の単語と行末の単語で踏む韻律法)が度々用いられている。
 “The nighte was darke, like Noe’s arke,
 Oure waggone moved alonge;
 The hail poured faste, loude roared the blaste,
Yet still we moved alonge;
 And sung in chorus, ‘Cease, loud Borus,
 A very charminge songe.(“Auncient Waggonere”, 23-28)(下線は筆者による)

果たして作者はどちらなのか、スコットランドとアイルランドの文化の功名争いも相まって、謎はますます深まるばかりである。


1  Nicholas Mason, gen. ed., Blackwood’s Magazine, 1817-25: Selections from Maga’s Infancy (London: Pickering & Chatto, 2006) vol. 1, 86-90.“The Rime of the Auncient Waggonere”からの引用は全てこの版による。
2  Frank Kermode and John Hollander, gen. ed., The Oxford Anthology of English Literature (London, 1973) vol. 2, 239.
3  Steven E. Jones, “‘Supernatural, or at Least Romantic’: the Ancient Mariner and Parody”, Romanticism On the Net 15 (August 1999).
4  Cf. “Supernatural, or at Least Romantic’: the Ancient Mariner and Parody”.
5  Blackwood’s Magazine 78.