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John Keatsにおけるトマス伝説の受容

[鎌田明子_(2009/3)]

 14世紀の実在の人物であるアーセルダウンのトマスは、詩人、預言者として知られ、中世ロマンスや伝承バラッドの題材として歌われる。このトマスが歌われた作品には中世ロマンス”Thomas of Erceldone”、伝承バラッド”Thomas Rhymer”があるが、ロマン派詩人ジョン・キーツはこれらの作品を元に “La Belle Dame sans Merci”を書いた。
 この作品とキーツの他の作品の違いの一つは、簡素な人物描写である。キーツの人物描写の大きな特徴は、その緻密さにある。 “La Belle Dame”と同一のテーマを持ち、同心円の作品と称されるEndymionでは、月の女神Cynthiaの美しさが髪、顔、耳、首、眉、頬、微笑み、ため息と一つ一つの部分の細かい描写によって表現されている。ところが、 “La Belle Dame”での妖精の女王は “Full beautiful, a fairy’s child; / Her hair was long, her foot was light, / And her eyes were wild.” (“La Belle Dame sans Merci”, st.4.)1 と書かれるのみである。このような表現は『エンディミオン』よりもこの作品の元となった”Thomas Rhymer”に類似性が見出せる。伝承バラッドの妖精の女王は ”ladie gay, / A ladie that was brisk and bold”(“Thomas Rhymer”, Child 37A, st.1.)2 と非常に簡単に描かれる。キーツは人間の男性と異界の女性との出会いというテーマとともに、常套表現が多く用いられる伝承バラッドの表現形態を取り入れた。単純な表現を前に、人々は足りない部分を想像力によって補い、各々の世界を作る。キーツはこの伝承バラッドの醍醐味ともいえる表現方法を受け継ぎ、個人という枠を抜け出して「非個性」に作品を委ねたといえる。
 キーツは伝承バラッドのテーマと表現形態を受け継いだだけではない。伝承バラッドの元となったとされる1410年ごろ制作のロマンス “Thomas of Erceldone”には次のような描写がある。
Downe thane lyghte that lady bryghte,
Vndir-nethe that grenewode spraye;
And, als the storye tellis full ryghte,
Seuene sythis by hir he lay.
Scho sayd, ‘mane, the lykes thy playe:
Whate byrde in boure maye delle with the? (Thomas off Erceldoune, Fitte I, ll.121-26)3
このようなかなり露骨な性的描写は物語全体に健康的な明るさと自由な動きを与える効果を持っているが、現存する伝承バラッドにはこのような描写は含まれない。その理由は “All hail, thou mighty Queen of Heaven!” (st. 3) という妖精の女王に投げかけるトマスの言葉から推測できる。この聖母マリアを意味する “Queen of Heaven”という呼びかけを用いることによって、伝承バラッドにおける妖精の女王はキリスト教的な雰囲気を帯びる。そのため聖母マリアにはおよそふさ わしくない性的描写は口承の過程で抜け落ちたものと考えられる。一方キーツの作品にはキリスト教的雰囲気は見られず、以下のような描写には、むしろロマンスに見られるような性的描写が復活している。
I set her on my pacing steed,
 And nothing else saw all day long;
For sidelong would she bend, and sing
 A fairy’s song.
………………………………………………
And there I shut her wild wild eyes
 With kisses four. (“La Belle Dame sans Merci”, ll.21-24, 31-32)
このようにキーツは伝承バラッドを受け継ぐだけでなくバラッドの中にロマンスの要素を組み込んだが、さらにキーツは騎士にバラッドやロマンスにはない性格を与えている。
 ”La Belle Dame”の10スタンザの “Thee hath in thrall”という言葉は、岸辺をさまよっている騎士の心がいまだに妖精の乙女に連れて行かれた洞窟にとらわれていることを示している。Charles I. Patterson, Jr.はこの騎士の状態を”He is pitiably suspended between two worlds.”と指摘し、肉体は人間界に、精神は異界にある騎士の状態を”terrible stasis”と述る。4  伝承バラッドでは妖精界に旅立ったトマスは7年後に人間界に戻る。伝承バラッドでは人の精神は常に肉体とともにあり、決して分離することはない。死者の魂や亡霊も肉体を伴う”corporeal revenant”として、魂の輪廻も’metamorphosis’という形で花や木などの物質を伴って描かれる。手に触れることのできない亡霊とは異 なり、生者と同じく肉体を持つ霊魂には現実感がともなう。この安定した伝承バラッドにおける精神に比較して、キーツの描く精神は不安定で落ち着かない。さらにキーツの騎士が揺れ動くのは、人間界と妖精界の間だけではない。騎士は次のように描かれる。
I see a lily on thy brow,
 With anguish moist and fever-dew,
And on thy cheek a fading rose
 Fast withereth too. (“La Belle Dame sans Merci” ll.9-12)
キーツは最初、下線部の”lily”, “fading rose”をそれぞれ”death’s lily”, “death’s rose”としたが、後にこの “death”を削除する。これにより、騎士の描写から死の印象が薄らぐが、”death”に代わる“”fading”には生命の力強さはな い。”death”の削除によって騎士は生と死どちらともつかない曖昧な印象を与えられている。すなわちキーツの騎士は妖精界と人間界の間を揺れ動くと同 時に生と死の間も揺れ動いている。このような曖昧さは騎士の中にもろさを生むが、この「もろさ」は次のような自然描写によって支えられている。
The sedge has withered from the lake,
 And no birds sing
……………………………
The squirrel’s granary is full, (“La Belle Dame sans Merci”, ll. 3-4, 7)
ここで描かれるのは二つの相対する面をもつ自然である。最初の下線部の死を連想させる冬に向かう秋とイタリック部の生の豊かさを象徴する秋であるが、その両方にほとんど動きがない。生を象徴する「一杯に満たされた穀物倉」、完了形で描かれる死を象徴する「枯れてしまったスゲ」は完 結した世界であり、それ以上の変化を拒む。パターソンのいう「恐ろしい静止状態」である騎士が存在する世界もまた静止しているといえる。
 この動きのない世界はキーツが用いた韻律によっても示されている。伝承バラッドの様式は、基本的に各スタンザ2行連句・弱強4歩格でリフレインが挿入されるものとされないもの、4行連、1,3行が弱強4歩格、2,4行が弱強3歩格、abcbの押韻を踏むものとに分けられるBallad stanzaである。キーツの用いる韻律はこのようなバラッド・スタンザとは異なる。
Oh what can ail thee, knight at arms,
 Alone and palely loitering?
The sedge has wither’d from the lake,
 And no birds sing. (“La Belle Dame sans Merci”, st.1)
元となった “Thomas Rhymer”では4行連弱強4歩格でabcbと韻を踏むバラッド・スタンザが用いられるが、”La Belle Dame”では1,2行目は弱強4歩格の後に弱強3歩格が続くバラッド・スタンザの韻律が使われ、3行目は弱強3歩格、4行目は弱強格の後に強強格が続 く。John A.Minahanはこのキーツ独自のスタイルについて4行目の弱強格と強強格の衝突と突然の2歩格への変化が、突然の休止、無を生むと指摘する。5  文字として読む読者ではなく、音として聞く聴衆としてキーツの詩を受け取るならば、突然のリズムの変化に、不意に音のない世界に放り出されたような感覚に陥る。耳慣れた弱強4歩格と3歩格の繰り返しは聴衆に次に当然来るべきリズムを期待させる。この期待感が二歩詩脚の効果を生み出す。心地よいリズムを与えられなかった聴衆は突然に足場を失ったような所在無さ、不安感を体験する。この不安感はまさに作中で騎士が味わっている不安感、すなわち人間界と異界との 間で落ち着くことのない静止の状態である。キーツの作品を文字として「読む」読者は騎士の姿を客観的に観察するが、冒頭の騎士への問いかけ、そして騎士の答えをキーツ独自のスタイルによって「聞く」ならば、聴衆は騎士の世界を供に体験する。ここにキーツがバラッドを採用し、またバラッドのスタイルを変形させた大きな意図がある。
 このような描写と韻律に裏打ちされる騎士の状態、生と死、肉体と精神、人間界と妖精界が一人の騎士のうちにありながら決して融合することのない 状態は、すべてを内包し、また融合することのできたバラッドの世界とは全く違うものである。このように分裂した不安定な騎士の姿は、ロマン派詩人である キーツの姿を反映するものと考えられる。ロマン派はキリスト教とともにあらわれた矛盾、神と世界、精神と肉体の解くことの不可能な矛盾から生じ、この分裂を文学の内に含むことを目指した。キーツも例外ではなく、Clarence Dewitt Thorpeは、”Sometimes, pendulum-like, swinging between the extremes, but more often earnestly endeavoring to find a means to a harmonious compromise, Keats’s mind occupied itself with these sharply conflicting claims.”6 と指摘する。キーツが描く騎士の姿は、規律と調和に対立し常に振り子のように揺れながらも、矛盾と分裂を内に含もうと格闘したロマン派詩人の姿としてと らえることができる。
 キーツは ”La Belle Dame”でバラッドというスタイルを採用したが、この作品は単なる伝承バラッドの模倣ではない。彼はロマンスやバラッドという伝統から、非個性を学び、 描写を極限にまで抑えることによって読者の想像力にゆだねるという、彼のほかの作品には見ることのできない新たな可能性を取りこむ一方で、ロマンスやバ ラッドには見られない精神と肉体の分裂や内面を深く探求する視点を作品に盛り込むことに成功した。“La Belle Dame”におけるキーツのトマス伝説の受容は、彼自身の作品に新たな面を与えるとともにバラッドのスタイルに新しい可能性を与えてもいる。

(註)
1 Jack Stillinger, ed. The Poems of John Keats (Harvard: Harvard UP, 1978).
2   Francis James Child, ed. The English and Scottish Popular Ballads (New York: Dover, 1965).
3  James A. H. Murray, ed. The Romance and Prophecies of Thomas of Erceldoune. Thornton MS. Early English Text Society, Original Series, 61. 1875 (New York: Kraus Reprint, 1973).
4   Charles I. Patterson, Jr., The Daemonic in the Poetry of John Keats (Urbana: U of Illinois P, 1970) 135‐36,139.
5   John A. Minahan, Word Like a Bell: John Keats, Music and the Romantic Poet (The Kent State UP, 1992) 94.
6   Clarence Dewitt Thorpe, The Mind of John Keats(New York: Russell, 1964)47.